小学館発行の「小学五年生」「小学六年生」が今年度限りで休刊になるとか 1922年創刊って凄い歴史 じいも対象年齢の頃は買ってた 小5半ばまでは読んでいた記憶はあるのですが、やっぱり面白くなくなってくるんですよね~~中には、こんなのを読んでる奴はダサい、いい子ぶってると陰口を叩く女子グループなんぞもあったりして嫌な思いもしましたが、そうかと言って大多数が読み始めるティーン向けのファッション誌やアイドル雑誌には全く興味のなかったじいは……ん?何読んでたんだろう???ずいぶんマニアックなものを読んでいたような、、、う~~ん、覚えてないや 担当編集者のインタもニュースで放送してましたが、多様性が普通になってる上に子供といえども紙媒体では太刀打ちできないものが身の回りに溢れてますからね~~休刊になるのも時代の流れなのかな~と
今夜は珍しくNHK教育にチャンネルをロックオン 20時から放送されていたETV50のアンコール放送を見ちゃいました 1985年放送、杉村春子さんと森繁久彌さんのビッグ対談。放送の作りや編集は古いな~という印象で、ちょっと馴染めなかった部分も多々あったのですが、なかなか充実した内容。ほんの少しだけ当時の稽古風景や舞台映像も放送されて、“昔の男”←何人いるの?って感じですよね~もちろん森繁さんじゃないですよ の若かりし頃の姿が映っていたのでビックリしてしまいました そういえばテレビシリーズで共演されてたのよね~~懐かしいですわ
「舞台は人生 人生は舞台」というタイトルがついていたので、舞台の話や役者人生についての話だったんですけど、今のじいには少し難しかったというか、もう少し年を重ねないと分からないだろうな~という部分があったり、やっぱり世代間のギャップで理解できないな~と思う部分があったかな~と……何だか「午後の遺言状」を見た時のような感覚でしたね~~素晴らしい、深いものということは感じられるんだけど、本当の意味で理解するにはこの年では無理だろうな~という感じ。あとね~~これは言い回し、あるいは自分に合う/合わないというところだと思うんだけど、森繁さんの言葉にはちょっと する部分があったんですよね。後半に「芝居が大好きな人が必ずしも芝居ができるとは限らない。好きこそものの上手なれという言葉があるけれども、積み重ねればある程度はできるようになるけどそれ以上は難しい」みたいな話が出てくるんですけど、う~~ん、若輩者には反論できないけどちょっとね…と。その後に杉村さんが「好きっていうことから始まるのは当然で、自分が離れられない、代わりに他の何かを、という姿勢ではダメで……芝居の良し悪しを言える人は役者の中にもいるけれども、実際にそれをできる人は少ない。昔言われた“芝居をするというのは人間の宝石みたいな人がやる”という言葉がこびりついているけど、そのくらい人の心を打つというのは難しいことだ」と補うような返事を加えられて、まぁ何とかついていけた感じかな~と。
ま、そうは言っても今のじいなりに「なるほどな~」と思ったことも お芝居は絵画や文学みたいに形として残るものではないから…という話。これ、前に友人たちとチケ代の話をした時に「家や車のローンみたいに払い終わったからって残るわけじゃないのよね」なんて話題になったことがあったんですけど、その時に至った言い訳?結論??(笑)を応援するような杉村さんの言葉 「なくなることが寂しいけれど、過去は観た人の心の中だけにある。その人が年を取って風化するわけじゃないけれども、そのままじゃないけど形が変わって残っている。演じる方も同じようにやっていても変わっていっているから」……これぞ生ものな舞台の魅力なんだと思うんですよね。時に美化された思い出として残っている場合があって、後でテレビとかで映像に遭遇した時にを見てみると「こんなものだったっけ?」と思うことがあったりするんだけど、公演毎に変化して、初演再演と重ねるに連れて変化して、受け止める人によっても違って、、、形に残らないからこその面白さがあるから止められないのよね
「どんなに稽古をしても完璧ということはない。お客様が入って芝居をして良い効果が出るために稽古をする。お客様と一緒に作っていくものだ」という言葉は、本当にいろんな意味で心にズッシリと。舞台の出来としては悪くないのに客席の雰囲気が ならアレ?という時はあるし、逆は……それは分からないけど、一緒に作る→じいの頭に過ぎるのは「共犯関係」という言葉なんですよね~~でもね、ホントこれは観る側として大事にしたい姿勢だと改めて思いましたね~~あと、相手のセリフを聞く/聞かないの話が出てきた時に、会話を大事にしてきた文学座のこと、自己主張をメインとする演劇の流れがあったこと等々の話があって、今は(放送当時の1985年頃ってことかと)会話劇を楽しもうとする傾向があることや30年前にイギリスで観たビビアン・リーのお芝居←南の島の提督の話らしい(ノエル・カワード作品だったそうで思わず反応しちゃいました~~「私生活」)で会話劇を楽しんでいる姿を見て、「日本では会話を聞かせるよりも動いたりすることが多いけど、やっぱりこういう会話劇を大事にしたい」と思ったという話もありました。いろいろ思い出しちゃいましたね~~身近なところではやっぱりBBですけど。会話の応酬を受け止めるってやる方も大変だと思うけど、受け止める方も大変。通常の観劇の2割増?で求められることが多いし
じい、難しい演劇論や演劇史は分からないので(敢えて論理的、専門的な方に向かないようにしている部分はあるけど)気分の赴くままに という勝手気ままな感じですが、たまには真面目に考えてみるのもいいのかな~と